活動日誌

雑誌「うえの10月号」に掲載されました。

上野のれん会が発行する上野周辺の情報を伝える月刊のタウン誌「うえの」にグレイス空手スクールのコラムが掲載されました。
※うえの10月号のデジタル版は→コチラ

第四弾【桑原さんの記憶 ―気を活用するー】

 

   2013年桑原さんが亡くなって11年、寛永寺で彼が言っていたこと、やっていたこと、大事にしていたことを思い出しながら皆で稽古をしています。

改めて思うと桑原さんの空手の技、動きについての解説はユニークでその多くが「力」ではなく「気」に関することだった様に思えます。

空手が競技化され、オリンピックに一旦採用され、時代の流れに沿って変化してきている中で、強く、速くだけではなく「気」が不可欠な体の動き、技の完成を桑原さんは目指していたように思います、これが何なのかは第二回、第三回の寄稿で申し述べた通りです。

先日「武道と日本人」魚住孝至著 を読みました。

「武道は部分的な筋肉を鍛えるよりも腰と肚を決めて全身一体で呼吸に合わせて動くことを理想としている」 とありました。意を強くする解説です。

例えば剣道ですが、競技とこの考え方による稽古と技の習得が同じ線上にあり、柔道もまずまず近いかなと、しかるに空手はどうかと言うと少々残念な気持ちです。

桑原さんが拘っていた「気」、「気と体の一致」「気を以て気を制す」の技、「先ず受け手そして寸止めの反撃」これを土台にした技の習得が競技に繋がることを願いたいところですが、それはさておきグレイスでは引き続きこの考え方で稽古を続けることができればと思います。


   桑原さんは「気」「気の出し方と言うか活用の必要」について本当に色々なことを言っておられましたが、そのものずばりを言い当てる表現ではなかった記憶です。

多くの人にはこれがどういうことなのか、何をどうするとこうなるのか、なかなかわかりづらいと思うのですが、桑原さんが言っていた、やっていたことをあえて表現すると、

「ビシッバシッよりもスッスッ」 「歩くように動くあるいは自然に素早く、地に足がついているように見える」 「バチーンよりもズーン」 「どちらかと言うとゆっくりに見えるけど強くて速い」など だと思います。


   今回は私が桑原さんから聞かされた空手、特に動き方や技の使い方に関わる語録を思い出すままに掲載したいと思います。

皆さんも色々聞かされていたと思います、修正や加筆をしていただければクラブの活動として楽しいと思います。


  • 寛永寺境内の大木と会話する、掌を樹に当て足を地に付け樹の気を体内に取り込み地中に流す、この力をエネルギーにして受け、突く。
  • 襖を5cmくらい開けて縦貫手で自分の肩口迄突き通す。手で突いちゃできない、気を鎮め脚から臍下を使って突き貫く。
  • ハンガーをぶら下げてもらい、真ん中の隙間を正拳突きする。 上記と同じ理屈
  • 突きは拳の先がずーっと先、中東まで届くように。 私の場合は中東とかサウジでした。
  • 突きは槍を突く要領 脚の使い方、地面の気を取り込み体幹を通して肘から手先へつながる。
  • 体の動きは体内の60兆個の細胞が連続して少しずつ連動すること、どこかに力が入るとスムーズな連動を妨げる。
  • 電車の中で立っているとき、揺れてもふらつかないためには、自分が電車の車両の一部になっていれば良い 気を下に鎮め車両と一体化する。
  • 金魚と会話する、「今日もきれいだね」が良い 必ず微笑んでくれる 気で会話する。
  • ピーマンが嫌いで食べられない子供には 食べなくて良い、が毎日八百屋の前を通り、ピーマンを見て「僕ピーマンが大好きなんだ」と声を出して言う。 1か月続ければ必ず食べるよ! これも気に働きかけること。
  • 対手との隙間が3cmあれば威力ある反撃ができる 大地―脚―体幹―肩甲骨―肘 を通し細胞を動かせば良い。


今回は取り敢えずここまで


令和6年8月2日
村林 誠

第三弾【気・息・體 「空手道集成」】

   2023年1月に「唐手」について、9月に「空手道集成」他関係する文献を読んでの感想を寄稿しました。いつも桑原さんが仰っていたことを思い返し、それがどこから来たのかをずっと考えています。
   今回大正10年に冨名腰さんによって書かれた「唐手研究資料」と改めて昭和11年つまり慶應の空手部創部10周年に有志によって書かれた「空手道集成」を読み何かそのヒントと言うか確信を持ちましたので第三弾として寄稿しました。
   私は12才の時から桑原さんと稽古をしてきました、大学を出るまでは学校の道場では部員とコーチあるいは先輩の関係で指導を受けることでした、試合組手の間合い、速さ、駆け引きがほとんど、がそこを離れ寛永寺や英会話スクールの部屋での稽古の際には学校で言われることとは全く異なったことを言われ続けて来ました。卒業後は学校の道場で言われていたことには一切触れることはありませんでした。
   これが桑原さんが求めていた本来の空手で今私たちが求めているものだと思っています。
   学校でとの相違点は沢山ありますが、最も明快なのは「気」なのだと思います。
   気が繋がる、気が届く、気が動く(体内で)、気を運ぶなどなど、体の使い方も、運足も気に通じるものです。
   前置きが長くなりましたが、このことを文献の中から読み解きたいと思います。これまでの「唐手」「空手道集成」寄稿で触れたことは割愛します。

Ⅰ.  「唐手研究資料」 松濤
   大正10年、松濤つまり冨名腰さんによるもので、昭和9年写本された和綴じ20ページ位のものです。
   體の構造、急所、手の技の形、組打ちなどで旧仮名使い、琉球の中国からの拳法の要素の多いものです。第一弾でご紹介した「唐手」は大正11年冨名腰さん著、副題が琉球拳法と言うことで内容に通じる点が多いように感じました。
   ご存じの通り冨名腰さんによって沖縄から本土に伝えられた空手(昭和5年に唐手→空手に改名)は、拳法と言うよりも武道であり体育としての価値を取り入れ普及発展しました。
   年代的に考えると、冨名腰さんが沖縄から本土に伝えたのが大正11年、「唐手」が同11年、同時に慶應に伝え、凡そ10年経って「空手道集成」の編集となります。
「空手道集成」を顕した昭和7年から10年にかけて卒業された慶應空手部のOB10名は冨名腰さんから教わった全てをどん欲に吸収し、加えて学生らしく自分たちで工夫を重ね、後世に形を残す意図で「空手道集成」を編集したことに難くありません。
   体育としてつまり教育の一環としてと、伝えられて僅か5年後に発案し唐手を空手に変更したバイタリティーを考えると、彼らが教わったことを残すと同時に工夫を重ねたに違いないと思うからです。それが「空手道集成」に凝縮されています。

Ⅱ. 「空手道集成」 慶應義塾體育會空手部創立拾周年記念 昭和11年2月
   前回の寄稿では「空手道集成」の中で桑原さんが言っておられたことに関連しそうな項目を抜粋してお伝えしましたが、今回はこの様な「空手道集成」の位置付けですので、
1. 編者による最も重要と思われる巻頭言「主張」をできるだけそのままと、
2. 冨名腰さんがこの「空手道集成」に寄せられた「気合術とは何ぞや」の要点をお伝えし、桑原さんがいつも言われていたことに重ねて考えたく、寄稿第三弾とします。

1.「主張」

(1)空手道の特徴
   空手道は鞏固なる人格完成に欠くべからざる體育、護身、練磨の三要素を理想的に均等に併有する武術である。體育としての空手道は之が練習に當つて天候に支配せられず、別段の場所、時間を要せず、服装器具設備従って経費を要せず、又相手を要しない(空手道の四不要)しかも肢體を左右上下平等に動かし運動系統に無理が無いから老若、男女、貧富の別なく、體の強弱大小を問はず(空手道の四不問)一人でも二人でも又団体としても晴雨に拘わらず行往坐臥随時随所で簡易に興味津々裡に稽古できる。體育としての空手道は徒手体操に護身の興味と深さを興へたものといへるのである。
   護身術即ち武としての空手道は人類が無手で格闘とし身を護る約五つの方法―突、蹴、投、個(挫)、絞―の中最も本能的、単的であり且最も鋭利な撃、蹴を中心とする拳脚道である。之には前身の筋骨を合理的に極度に活用して有効なる武器と化する徒手攻防秘術の精粋の芸術的組織たる空手型あり、互の拳脚は触るれば玉散る氷の刃と想定し 間合いを図り息を調べ、気、息、體の一致せる時、烈火の如き気合諸共対手の急所に我手脚を繰出し、その寸前に止めて撃蹴の正確を試み、対手は之を或は交はし、或は受けて動作の敏捷、臀脚の反発力を増進し、更に變撃、追撃に轉ずる組手あり。以上二者の基礎工作として撃蹴の正確、強度及び速度の増進を図る巻藁がある。空手道は巻藁、型、組手の三位一體となって初めて鉄拳一撃能く凶暴を制し、石脚一蹴克く重囲を脱する境地に至るのである。
   空手道は普通単独で稽古する。従って柔剣道等に於ける如く他力にひっぱられぬ徹底的自力による統制力、克己心を養成する。又斯道は他に何等頼る物なく、唯この生まれたまゝの赤裸々な肉塊を唯一無二の弾丸として突貫するものであるから、我が皮膚を斬らして対手の肉を削り、我が皮肉を與へて彼の生命を断つ覚悟がなければならぬ。其の心境は恰も真剣勝負に於て対手より刀を打落され素手で対抗して行く時にも喩へられよう。即ち空手道は絶体絶命窮すれば通ずる路を歩むものであり、身を棄てゝこそ浮ぶ早瀬を徒ち渉るものである。此の捨身の心境に在って不断に膽を練り體を鍛へて行く時は浩然悠揚不抜の自信力を體得し、この自信あって人格の尊厳は確保されるのである。

以上全文

(2)空手道の體育上の短所
   
省略します

(3)総合空手道の樹立

   抜粋します

   イ. 総合体育 他の運動の模範を取り入れる

   ロ. 空手型の体系化 形式と意義を中心に分類し基本動作の体系化を図る

   ハ. 中国拳法と純日本拳法の研究 冨名腰さんから学んでいるのは沖縄の空手、沖縄の空手は中国拳法の影響を受けているがその体系は分からない。個人から個人に相伝されたものが多い。故に沖縄の研究はもとより中国拳法についても学ぶべきである。さらにわが国には固有の拳法もある。これらも探求しより高く広く深い空手を築きたい。これが唐手を空手と改称した理由の一班。

   ニ. 型の名称統一

   ホ. 他の護身術の研究

   へ. 医学の研究

   ト. 兵学の研究

   チ. 禅の研究 空手道は字のごとく空、裸一貫、本来無一物。禅はその字のごとく単を示す、直指人心で本来無一物を研究し見性成仏するもの。

   リ. 実学の涵養 體力は推進力、精神力は舵、社会の変化の中で知識は必須。真の空手道は體、心、学の偏らない備を持つ人によって到達される。空手は湯のごとし絶えず熱を与えざれば元の水に還る。

(4)慶應義塾の使命
   省略します

 2.「気合術とは何ぞや」 冨名腰義珍 

   冨名腰さんが沖縄から来られて12年、慶應で10年経って編集された「空手道集成」
 編者は、沖縄からの拳法、武術が口伝相伝であることがリスクであること、唐手を空手と敢えて変更するほどの確信があったこと。冨名腰さんもそのことを理解した上で、体育としての空手の普及に取り組んでいる中での「空手道集成」への寄稿が「空手は気合術である」と言い切っていることに注目する。

   気合術とは精神と精神との戦いであり、気を以て気を打つの術である。
 精神と精神とが相対した時に、双方の意を合わせると言うことで、その際一方の精神力が他方の精神力を牽制威圧して活殺自在にすることの謂れである。
 心理学上は精神力を一時に集中すること、哲学上では虚実動静の一致、生理学的には呼吸の術である。

   気合術と合気術は似て非なるもの、簡単に言えば合気術は無心気合(静的)気合術は有心気合(動的)を指して言ったもの。合気術は精神に何等のがいたい(滞り)なく、恐怖なく、邪念なく虚無恬淡たる中に超然自らを持し、隙なく、弛みなき場合を言ったもの。

   空手は気合術、「気・息・體の一致」冨名腰さんがそして当時の学生が、大正11年当時も、10年経った「空手道集成」編集の時にも変わらず空手の中心に置いたことと推察できる。

令和6年5月4日
村林 誠

第二弾【空手道集成】

   前回の第一弾「唐手」を読んで、に続き第二弾を寄稿します。
   約百年前に沖縄からもたらされた当時の考え方、技、稽古などについて記載された本を読む機会がありました。
   改めて桑原さんが仰っていたこと、実行されていたことと見事に整合するので主な点を書
き留めてみました。
   この本は慶應義塾体育会空手部が創部10年を記念して冨名腰さんから教えられたことを纏めることを目的に作成された「空手道集成」1936年です。
   本の構成は 総論として、基本、型(形ではありません)、組手、次に各論として型、組
手変手の本質、体育上の価値、個々の技について、巻藁についてとなっており約350頁の
力作です。

1.武としての空手道は護身、撃、蹴、(投げる挫く絞める)が中心。間合いを図り息を調
べ、気・息・體の一致する時対手の急所に繰り出し寸前に止める正確さを求める、対手はこれを交わし受け反撃する


【解説】
この本には無い記事ですが理解を深める上で関連する事柄を他の事例から選び記載しました。

  • 気は体のこと。 気は体、理は心(朱子学) 魂魄に通じるものがあります。 形の上での体に呼吸を丹田に集中し地に足の着いた體を成すことと言えます。足で地面をつかむ、どんどんではなくスッスッと動かなければだめだといつも仰っていましたね。
  • 武は戈を止むるの義なれば少しも争心あるべからず。(神道無念流)
  • 「対手はこれを交わし」なぜ かわす が交わしなのか? 

    交には交通交信交際交換などの意味があり、福沢諭吉はこれらを人と人が何かをやり取りすることと解釈していました。コミュニケーションを送り手が受け手と意味を共有する行動(戦略と実行;清水勝彦)と訳せば、交わりは互いに理解しあえる即ち説明ができることと考えられます。
   相手の攻撃にまず呼吸を合わせ(共有するにつながる)、地に足のついた受けを行い、直ちに地に足のついた反撃を急所に向けて寸前で止める。

  • 急所に繰り出し、寸前に止める 唐手は剛術、一辺急所をやられたら致命傷となる(だ

から正確に止めなくてはならない) (唐手;冨名腰義珍)


2.空手は術として身を護るに在り、武器を以て身を護るとは智の足らざるもの、即ち空
手は智者護身の術である。arm 腕、手 arms 武器 動詞で備える 空手は手を以て武器とな

【解説】

  • 智とは智恵、公智のこと、単なる物知りは知あるいは私智。

    福沢諭吉が目的達成のために必要な考え方として智徳の模範を示しています。行動を科学的に検証可能な手段として計画し、計画を実行することと言えます。 

   計画には100%正しい完璧な計画はなく、一長一短軽重大小比較の優劣で何をやるかの優先順位が付けられます、この優先順位をつけてそれを説明し、相手と意味を共有して目的達成に向かうことを智徳の模範、躬行実践と言います。

  • 智者護身とは変幻自在の攻撃に対し、受けの優先順位を付け直ちに反撃を試みることとなります、まずは智者の受けです。
  • 空手は柔術ではない、拳闘術でもない 身に寸鉄帯びず徒手空拳克く敵を挫き身を護る。防御から始まる。(唐手;冨名腰義珍)


3.気合術は武道の根本 気合術は精神と精神の戦い、気を以て気を打つの術つまり双方
の意を合わせる、その際一方の精神力が他方の精神力を活殺自在にする (冨名腰義珍)

【解説】

  • 前回の寄稿で申し上げた、空手の技は先ず受けがあり次に反撃を前提とし、敵の気を呑み実を以て虚をつく。 気は体、息と呼吸、丹田が地に足 で実となり體となる。

最初に申し上げた 気・息・體の一致に繋がります。

  • 地に足を付けて、体は脱力、體そのものが受けであり突きでたまたま手先、足先が相手

との接点になる。ドタバタしなければ相手の力が自分の體を通して地面に伝わり反動で相手に向かう とは桑原さんがいつも仰っていたことです。

   以上今回は、空手は智者護身、防御の上での攻撃、地に足がつき呼吸を合わせる これが基本の技気・息・體の一致が重要技を身に付ける稽古が型(型:範、手本 何かを作る時の元、一方で形はものの姿、かたち)を纏めにします。


令和5年9月1日
村林 誠

第一弾【唐手】

   先日、大正11年冨名腰義珍著「唐手」を読む機会がありました。
   桑原さんが稽古に意を尽くしていたことが多く語られているように思い、気付いた点をクラブの皆さんと共有したいと思い投稿しました。
   この本は4章から成っていて、歴史(主に沖縄での由来)、価値(体育の観点から)、練習法、組織(技の構成)について語られています。
   順不同ですが、桑原さんとの接点を中心に以下印象に残った項目を申し上げます。
 

  • 唐手→空手は柔術ではない拳闘術でもない、身に寸鉄帯びず徒手空拳克く敵を挫き身を護るものである
  • 空手は沖縄元来の手(テイー)に支那武術の稽古を比較研究し長所を取り入れたものである
  • 練習は1日30分が適当、しかし双方の都合で1時間から2時間でも良い
  • 2分で終わる一連の運動の繰り返しを30分から2時間行うのが適当
  • 技の構成は攻撃と防御に分かれる防御と攻撃はセットで、型においても実戦においても前の手が防御、後ろの手が攻撃、然しいつも千篇一律ではだめ、防御の手が俄かに攻撃に変化の場合もある(これは変手のことを言っていると思います)

   つまり


― 技は防御と攻撃のセットで、型に反映されている 
― その練習のための動作は2分で終わる一連の動き、これを30分から2時間行う
― 毎回基本で行っている四面動と見事に繋がっていると思います
 
  さてこれに関連して、慶應義塾体育会空手部機関紙「拳」昭和14年に冨名腰師範が掲載した文言に以下がありました。

   「型はケイ又はキョウと訓ず、鋳型は転じて則、手本模範の義 (つまり手本となる型)これを得手勝手に崩すことは取りも直さず則に外れ手本とは異なり模範に背く」

   もう一つ、実語教に書かれた言葉ですが

「反復し完全に習得したものを技と言う、繰り返し練習し技を覚えるを型と言う」
 
   桑原さんが稽古の中で伝えようとしていたことに繋がる点が多いと思います。
 

令和5年1月15日
村林 誠

2025年8月 暑気払い